横顔


いつも見慣れているEndeby Cliffsを横から見た風景。
ちょうど遅い午後の光があたって浮かび上がるように輝いていた。


Untitled

X-E3 18-55


昨日の拙い投稿にメッセージも頂いた。

自分が最初に渡加した時は航空券代を捻出するためにクルマも売った。
あとは一ヶ月間、ちょうど折りよく開催されたモンゴル恐竜展(笑)のお土産の売り子のバイトして貯めた。
あとは夏の間に働いていた山小屋の給料でなんとかなった。

その3週間でお金もなくなる予定だったので、
帰国後、成田から夜行バス直行で白馬のスキー場でのバイト行き。
これは出国前から決めておいた。

そこのバイト先で出会ったのが今のカミさんだった。
知り合って一ヶ月後には結婚することになり、
自分は尾瀬の山小屋で働いているなか、
父に結婚証明書を送ってもらい、
東京でカミさんが署名捺印後、山小屋に書類を送ってもらい、
自分が署名捺印後、函館の実家に送って父に市役所に届けてもらった。
それが6月だったか。
9月にアメリカのヨセミテ国立公園で牧師さん夫妻と自分たち二人だけの結婚式を挙げ、
出来たばかりのワーキングホリデーという制度を利用して一年間カナダで働きながら生活。
ちょうどカルガリー・オリンピックが開催された年。

中曽根さんが作ってくれたこの制度で自分の人生は確定的なものになった。
ありがとう中曽根さん。(笑)

そして帰国後、新潟のスキー場でパトロールの仕事をし、
カミさんは窓口でチケット売り。

翌夏は上高地のホテルで厨房の仕事、
この頃、上高地温泉の子宝の効能が聞いたようでカミさんが妊娠。
そしてその年の冬は蓼科の温泉旅館の厨房で働き、
1990年の4月、息子をカナダで生むためにまたカナダへと渡った。

前回一年間のカナダ滞在で移民権を取るのに、
当時一番それに近い職業は寿司職人ということが分かったので、
それに向けての調理師免許を取ったりと準備をして行った。

6月、無事に息子もバンクーバーで生まれカナダ国籍も取得。
息子が20歳になったら、
息子に呼び寄せてもらう形で両親もカナダに来れるという制度があったので、
最遅でも20年後にはカナダに来れるということまで想定しての行動。
賛否両論あったアグネス・チャンと一緒だったので男アグネスの異名もいただく。(汗)

バンクーバーの日本食料理屋でワーキングビザを発行してもらうことも取り付けて、
ビザ取得などの準備のために7月に一旦帰国した。

夏から秋にかけて回転寿司屋で働き、
秋も終わる頃になってビザが下りたので、
1990年11月、平成天皇即位の礼の頃、
厳重な警戒の中、成田からバンクーバーへと家族3人で飛んだ。


長くなったので続く。





[ 2019/02/22 07:47 ] カナダの風景 | TB(0) | CM(0)

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